終戦記念日にSMAP解散の話ができる平和を噛みしめる
今日は終戦記念日でしたので正午に全国戦没者追悼式を見ておりました。中野家は1945年3月の大阪大空襲で家を焼かれました。この写真は当時の難波・千日前あたりの様子です。この写真に当時の家のあたりが写ってるようです。だから、終戦記念日には、いろいろと考えます。
今日のこの日にオリンピックの話題や「SMAPがどーしたこーした」という話題をしながら時間を過ごすことが出来るのも、平和な証拠ですね。
そのSMAP解散で思うことがあります。
国民的グループが解散するという事態は、キャンディーズやらピンクレディーやら、まあいろいろと過去にありましたね。
自分の時代だと光GENJIやチェッカーズなんですが。
解散に至るまでには、当然、あれやこれやゴタゴタがあり、それらのことは、あとからウワサというかたちで流れてきたものですが、
いまはインターネットを通じてありとあらゆる情報が出て来てますね。
解散という事態すら、ある程度予想できていたかもしれません。
1945年当時、戦争報道は「大本営発表」しかなく、統制されていました。
ニュースが新聞や雑誌、テレビだけで供給されてたころは、「大本営発表」に比べるとまだ自由ですが、それでもその世界だけが全てでした。
いまはブログやTwitterを通じていろんな人が情報を発信できます。雑誌社だって、発売日にとらわれずに情報発信が出来ます。というわけで、チェッカーズが解散した1992年当時は確かミュージックステーションの番組内で発表し紅白歌合戦が最後で、解散に至るドロドロは出てきませんでしたね。光GENJI解散に至る経緯も、あとから諸星和己がしゃべるまで明らかになってませんでしたね。 ところが、SMAPのそれは、もうオナカイッパイになるくらい情報が溢れてます。
「隠し事の出来無い世の中だ」と実感する出来事でした。
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