「守られた天然ボケ」にも限度というものがあろう
まいど。なかのです。きょうも奇跡の落し物体験をしました。
きょう、銀行でお金をおろしたあと、自転車でほんのちょっと足を運んで、「ニサンザイ古墳」まで行きまして、
こんな浮かれたパノラマ写真撮ってたのですが、そのあいだに、
財布の入ったカバンがどっかにいきました。さっき銀行でおろしたお金も、通帳も、キャッシュカードも、クレジットカードも、家の鍵も入ったカバンが。
あれ、自転車のカゴに入れっぱなしだったんだろうなあ、ああ、しまった。そういえば近くで親子の声がしたような…「あいつが持って行ったのか!」
と即座にそのへんをさがしたのですが、みつかるはずはありません。
過去に仕事道具一式と着替えが入ったカバンをなくしたけど見つかったという奇跡的な体験もあったり、いまのところなくした財布は全て中身も無事で見つかってきていたりしますから、「絶対見つかる」と暗示をかけながら、いちばん近い交番に行きました。
交番では事情聴取されました。何が入ってるか丁寧に聞いてくださったり、警察の方がパソコンで書類を作ったりしてる最中、
「誰かが持ってきてくれます。必ず」と願っておりました。
すると外から帰ってきた警察官さんが、なくしたカバンと同じ色のを持ってるじゃありませんか!!
いやーーそんなうまいこといくわけないでしょ、うそでしょ、似たカバンなんかいくつもありますから、とおもったので、いちおう警察の人に「そうそう、なくしたのは、ちょうど、あのかたが持ってるようなやつなんですよ」とお伝えしたら、
それでした。
なくしたと気づいてから、カバンがあらわれるまで、わずか20分。「遺失物届出書」と「届けられたモノの受領書」を同時に書くひともなかなかおらんでしょ。おかしいわ、おれ。
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